日々の思考の伝達

日々思うことをまず書いてみる。言葉にしてみる。

カフェのトイレに誰かいる。

カフェにいる。

お昼も兼ねて3時間ほど滞在し、お手洗いに3回行った。

が、3回とも先客がいた。


そんな日もあるだろう。


。。。。その確率はどれくらいだろう??


考えてみよう。


このカフェは広くない、席はカウンター7席のテーブル席10席。

お客さんは平均大体7人程度。(自分を除いて6人)

2時間に一回お手洗いに行くとしよう。

お手洗いの時間は5分。


1時間のうち誰かがいる確率は、

5m * ( 1h / 2h ) * 6 / 1h = 0.25

大体25%だ。

自分は3回行って、3回とも先客がいたので、

0.25 * 0.25 * 0.25 = 0.015625

おおよそ1.6%だ。


こう考えるとなかなかにレアだ。


嬉しくはないレアだが。

読了「Why型思考が仕事を変える」

仕事をしていると、いろんな人と関わる。

開発部署なので、他チーム、他社との関わりは少ないが、それでも自チームの人とは関わる。


複数人に囲まれながら仕事をしていると、特徴というものが見えてくる。

  • 言われたタスクを言われたようにこなす人。

  • 自ら提案していく人。

  • もはや何をしているのかわからない人。

優秀な後輩は、心強いが同時に焦る。が、それは本記事とは関係ないので置いておく。

自分が、尊敬している先輩は、本書で書かれているThe Why型思考の人だ。


どこまでも、突き詰めて、疑問を投げかけ、システム構成を練っていく。


正解がない仕事をこなすのが、抜群に上手い。はたから見てもわかる。


新卒3年目の自分は、仕事をしていて痛感するが、What型思考寄りだ。


Whyを疑問に持つが、どうしてもすぐに「じゃあ具体的にこうしよう」、と作業ベースの考えすなわち何(What)をするかを考えてしまう。


ありがたいことに、その先輩は、自分のそのWhat型思考に偏るのを見逃さない。


「今話している考えの抽象度」と「今話すべき考えの抽象度」両方を理解しているので、ギャップを指摘してくれる。(それがまた自分がWhat型思考だと痛感させられる笑)


あぁ、この人のようになりたい。


が、その手段がわからない。その手段を考えることがWhy型思考だが、別に他者から学んでも悪ではない。そう思い本書を取った。


内容は、だいたいイメージ通り。著者の「具体⇔抽象トレーニング」という本も読んでいたからか、基礎知識は身についていた。

本書ではWhat型思考がWhy型思考になるために何をすればいいかも示唆してくれていた。

  • 天邪鬼になる:人の言われたことをそのまま鵜呑みにしない。→なんでそうなの?と咀嚼する前に噛んでみる。

  • すべて自分の責任と考える:他に責任を押し付けた途端、思考は停止する。なぜそうなったかを、自分の中で顧みる。

  • 無精者になる:いかに楽をするかに目を光らす。自然と「それは必要なのか?」というWhyの疑問を持つようになる。

  • 現実逃避をする:「今いるカフェの椅子がこうだったらな〜」と妄想することは、どうすればよりよくなるかなと考えることと本質的には似ている。

  • 答えがない状態を歓迎する:一つの答えるWhat型思考は、答えがない状態を苦痛に感じる。がWhy型思考が挑むものには答え以前の問題から考える必要がある。その状態を受け入れる。

妄想するなんて、なんて楽なアクションプランだろう。


実に読んでよかった。


が、馬鹿正直にすべてになぜ?を口にする面倒なやつにはならないようにしよう。

すべてはバランス。そして日本人の長所を活かせ。

読了「すべてはモテるためである」

なんとも攻めたタイトルの本を読んだ。

なぜかAmazonのおすすめで出てきて気になり買ってしまった。最近のECサイトはユーザーの深層心理まで読み解くのか。。。。


だが読んでみたら、これがなんとも面白い。著者がAV監督であるが故に、書き方のテイストも独特だった。

書かれている内容はタイトル通り、「どうすればモテるか」だ。

だが、これがまたギャップなのか、意外と論理的に解説しているから魅入ってしまう。


前半は、「あなたはなぜモテないのか」について。 後半は、「モテるためにどうするか」について。

あなたはなぜモテないのか

それは、あなたがキモチワルイからだ。

著者は読者に媚びることはない。おそらくこの本を手に取った95%の読者をキモチワルイと断言している。

キモチワルイ人の種類は大きく二つ。

  • 相手と同じ土俵に立たないで自分の欲望を振りまくバカな人。

  • 他人の視線を気にしすぎて、欲望を出せない臆病な人。


自分はどちらかというと後者だ。

誰か、周りのキモチワルイ人を想像すると大抵どちらかに分類されるだろう。

人の意見を聞かず、自分の言いたいことを言いまくるオタクは前者。

目も合わず、意見も言わず、どう接すればいいのかわからない人は後者だ。




モテるためにどうするか

モテるためは、大きく二つをしようと言っている。

  • 自分の居場所を作る。

  • 相手と同じ土俵に立つ練習をする。

「自分の居場所を作る。」とはすなわち、適度な自信を持つために、自分はこれが好きだなと言えるものを持つことだ。

自分が「何が好きか」を知っていて、その理由も認識できる人になる。

何かにハマっている人は、なぜかカッコよく見るものね。ただし、エラそーな人は除く。その意味での「適度な」自信だろう。

何にハマるかは問題ではない。自分が考えた上でなぜハマっているのか説明できるかが重要だ。でなければ自分の軸にはならない。流されているだけだ。


「同じ土俵に立つ」とはすなわち対話である。

相手の話を聴く。聞くのではなく、意思を持って聴く、だ。

上から目線でもなく、相手の言葉を聞き、判断せず、決めつけず、自分の考えを変えることも厭わない。


意外と難しい。相手に合わせるとは違う、それはただ流されているだけだ。自分がない。

そういう意味で、練習する必要がある。


著者はキャバクラを推している。今後会わなくても済む人と、確実に複数人と話をする権利を得られるからだ。

この本が2012年に書かれたことを考えると、今はマッチングアプリも有効な手だろう。

そこで土俵に立つ経験を積めばいい。



この本を読むとわかるとおり、読んで終わりの本ではない。 読んではじまりの本だ。


ここから始まるのだ。


実践あるのみだ。

「差」が価値

最近はスタートアップ企業が多く、起業が持て囃されている。

実際、起業して成功している人もいる。

自分も考えたことはある。
自分に提供できる価値はなんだろう?
だが、ふと思う。

価値とはなんだ?


価値なんて言葉は抽象的すぎる。

人によって十人十色だ。

決められるものじゃない。
もう少し具体化したら、何と言える?
起業するときに、その人らが考えるのは「今までにない新しいサービス」だ。

当然だろう。今までにある同じサービスを用意するなら、そのサービスに勝てないのだから。(価格を下げるという手もあるだろうが。。。)


「今までにない新しいサービス」とは、すなわち既存のサービスとの「差別化」だ。


今まであったサービスとは、ここが違いますよ。という宣伝文句で勝負する。

その差に価値を感じる人が多ければ多いほど事業も大きくなるだろう。


差があるところには、必ず何かがある。それは自然の摂理からも明らかだ。

高いところにある水が低いところに流れる、そこには滝がある。

高い温度の空気と、低い温度の空気がある。そこには風が生まれる。


人間社会も、物流は座標の差、委託は担当者の差、によって価値を生んでいる。何事も差を価値に変換しているのだ。
そういう意味では、人と違う考えほど価値があるのだろう。

だが、自分は今、会社という組織の中で、同じように働いている。上司の求める「模範」と差を縮めようと躍起になっている。
尖を捨ててはいけない。

その尖こそ、価値なんだ。

誘いに乗るべきか乗らないべきか

同期の遊びに誘われた。(といっても、ただグループで遊びいこーといってるだけなので自分一人宛というわけではない。)
行くか行かないか。
普通の人は悩まないのだろうか?


「普通の人」という名の他人のことは知ったこっちゃないので自分の心情をまず考える。


なぜ悩む?

思い当たる気持ちをリストアップする。

  • 参加が歓迎されるのか不安。。。

  • うまく話せるか心配。。。

  • 僕だけ浮いたら恥ずかしい。。。

  • 空気を壊さないだろうか。。。

  • 長時間誰かと一緒にいるのが疲れる。。。

  • 空気を気にして楽しめないのなら、行かない方がいいのでは。。。

面倒なやつだ。


では逆に、いったらどうなるかリストアップしてみよう。

  • 同期との距離を縮められる。

  • 行ったら、なんだかんだ楽しい思い出になる。(行ってる最中の気持ちは知らん)

  • あまり話せてない同期と話すいい機会。

  • 会話の練習になる。

  • コミュニケーション力が多少なりとも上がる。

  • 誘いに乗りやすい癖がつく(かも?)

ふむ、悪くはない。

最近だいたい、このようにウジウジ悩んで、チャンスを逃す時が多々あった。

同じ決断をしているのに、判断が遅れただけで損失が生まれた。


変わるなら今かもしれない。


もう少しだけグダグダ悩む時間をゆるそう。


デメリットを掘り下げてみる。

  • 参加が歓迎されるのか不安。。。

  • 空気を壊さないだろうか。。。

これは、前書いた気がする。相手をそう見ているのは、失礼に当たるな。

  • うまく話せるか心配。。。

  • 僕だけ浮いたら恥ずかしい。。。

  • 長時間誰かと一緒にいるのが疲れる。。。

  • 空気を気にして楽しめないのなら、行かない方がいいのでは。。。

これは、自分自身の問題。今はそうだろう。だが、変わりたいと思っている。そういう意味では、同期という距離感でイベントを共にするのはいい練習になるのではないか?

行かない理由がなくなった。


よし、行こう。楽しもう。


楽しめたら、いい思い出にしよう。


楽しめなかったら、ネタにしよう。

仕事の成果は何で決める?

優秀な同期、後輩が多い。

そうなるとどうしても自分と比較してしまう。


会社で重役から褒められる後輩、かたや自分は。。。。。
イデアを提案したら事業展開しようと持ち上げられている後輩、かたや自分。。。。


そうなると気分が落ち込む。


もはや落ち込むことを目的に比較しているまである気がする。アドラー心理学は的を得ているかもしれない。

だが、これは健全ではないだろう。

なのでここで吐き出す。
吐き出すのは気分がいい。
一番は気を使わない友人に吐き出すのがいいが、友人は常に(物理的に)隣にいるわけではない。通話というのももどかしい。
そういう意味では、ブログは最適である。



さて、このような嫉妬思考になった時に、どう考えるべきか。
ありきたりな答えは「他者と比較しない」だろう。
そんなことはわかっている。
では、具体的にどう考えるべきか? 他者と比較しないは抽象的すぎて実行に移せない。


少し具体的にすると、「自分と比較する」のがいいだろう。だがこれもまだ抽象的だ。


他人と比較する余裕を無くそう。比較して劣等感を持つのは、必ずしも他人が優れているからだけではない。


心ではわかっている。実際、自分は全力を尽くしていないのだ。後ろめたさがあるのだ。


その日、「自分がした仕事」は、「自分が最大限取り組めた仕事量」の何割だろうか?と考えてみたらどうだろう?


10割を基準にするとそれはそれで苦しい。息継ぎをしない水泳のようだ。


人間休みもいるだろう。では8割でどうだろう。


「今日、自分は、自分の力量の8割以上を出せて仕事をした。」



そう、心から誇れたら、何を恥じることがあるだろう?

そうか。嫉妬していたのではないのだ。8割を出せていなかった、その自分の怠惰を優秀な他人に責任転嫁しているだけだったのだ。
吐き出し完了。

明日からまた頑張れそうだ。





ブログを書きながら学んだこと。

「責任転換」は「責任転嫁」が誤って広まった言葉らしい。正しくは、せきにんてんか、だ。

無意識は、無意識に変わらない。

そういえば去年、歯医者に行った時、


「このままいくと、出っ歯になるよ」


と言われた。


自分は上の前歯の隙間が少し空いている。


特段変なわけではないので、コンプレックスではなかったが、

それのせいで、息を呑み込む時に、舌がその前歯の隙間を押さえつける癖があったらしい。

押さえつける、すなわち押すなので、そのままだと前歯がどんどん前に出てしまうというわけだ。

そう言われてからネットでググると、どうやら普通の人は、無意識の時に舌は口の上のスペースにあるらしい。

本題ではないため、詳しく知りたい人は↓を見て欲しい。

知っておきたい「正しい舌の位置」セルフチェック法と舌癖改善トレーニング方法を解説 | 歯列矯正の基礎知識コラム | 東京・エムアンドアソシエイツ矯正歯科


ここで言いたいのは、無意識に誤っていた舌癖を直すのは大変苦労したことだ。


無意識に、やっていたことなので気がつくと元に戻ってしまう。


よし、気をつけようと思った数分後にはまた元に戻っている。


ず〜〜〜っと意識し続けるのは不可能なのだから、仕方がない。


気付くたびに、意識して変えるしかないのだ。


三ヶ月ほど経つが、まだ意識すると舌癖が悪い時がある。


まだ、直らないのだ。これほどまでに無意識の癖は直らない。


あなたは無意識の時に何をしているだろうか?


それは、無意識には気づかないし、無意識に変わることなど絶対にない。


無意識は、無意識には変わらない。

無意識は、意識しても中々変わらないからだ。


だが、今日からは変えられるだろう。


「雨だれ石を穿つ」ようにゆっくりとだが、


無意識を穿て。